ご褒美をあげる
 




ご褒美をあげる





それは甲子園で快進撃を続けていた、はばたき学園野球部の準々決勝敗退が伝えられた日のことだった。


「あ・・・・・・・」


瑛は、突然思い至った。
がちゃん。
その拍子に手を滑らせてしまい、コーヒーカップとソーサーが音を立てて転がる。
それまで珊瑚礁に満ちていた穏やかな午後の空気にひびを入り、客の視線がカウンターの中の瑛に一挙に集まった。
「!、スミマセン・・・っ」
慌てる瑛に、奥で豆をひいていた祖父が声をかける。
「大丈夫か、瑛」
小声で問いかけた祖父の表情は、孫を心配するそれだ。
「すみません、マスター」
だから瑛は、口調は店員使用のまま、少し感情を顔に出して「大丈夫」とアピールした。

・・・・・・もっとも、本当は全然大丈夫じゃないのだけれど。

幸いにもまだ中身を注いでいなかったから、大惨事は免れた。
しかしカップをくるりと返すと、持つ手のところが欠けてしまっていた。
(・・・・・・ちぇっ)
胸の中で軽く舌打ちする。
割れたカップの欠片を拾い上げる。
そうしながら、瑛は顔が赤くなっていくのを感じていた。
それは今の失敗ではなく、全く別のことによって、だった。

(そっか・・・・・・)

(そうだよな、そーゆー意味だよ)

(・・・・・・だからあの時、志波のヤツ・・・・・・・)



思い出したのは、ほんの1ヶ月も満たない前のこと。

その日は珍しく志波から電話をかけてきた。
甲子園旅立つ前日、いつもの飾り気のない口調で「行ってくる」と彼は瑛に告げた。
「で、どうなんだよ。初戦は勝てそうなのか?」
「どうかな・・・」
「へぇ、随分弱気なんだな」
「相手は、春にベスト8に残った強豪だ」
対して、はば学野球部は甲子園初出場。志波の弱気も分からなくはない。
「らしくないんじゃないか?」
「・・・そうかもな」
彼の声を聞いたのは久しぶりだった。
志波はずっと県大会だの合宿だので忙しかった。
瑛はいわんや、いつものこと。
だから今にして思うと、その時の自分は少し浮かれてたのかもしれない。

「ふーん・・・。よしっ、じゃ、こうしよう。もしベスト8に残ったら、オレからご褒美をやる」
「・・・・・・・・・・・・は?」

・・・・・・・・・・・・どうして気付かなかったんだろう。この時に。

「何が欲しいか、考えとけよ」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・おい、志波?おーい?」
「・・・・・・ハッ!?」
「何、ボーっとしてんだよ」
「わ、悪い」
「・・・?なんだよ、食いつき悪いな、俺がせっかく奮発してやろうってのに。いらないのか?」
「・・・・・・・・・・い、いや!そういうわけじゃ・・・・・・ない」
「・・・・・・?じゃ、考えとけよ?」
「・・・わ、わかった・・・・・・」
「頑張れ。応援してる」
「・・・・・・ああ」

・・・・・・・・・・・・繰り返すが、どうして気付かなかったんだろう。俺。

お互い好きで、キスはしてて、でも、それ以上は・・・まだ。
でもいつだって、瑛の目を覗き込む志波の眼差しには熱が込められていた。指を絡める手には色が滲んでいた。
時々たまらない風にきつく強く抱き締められたこともあった。
だけど、それを「ハイ、分かりました」なんて受け入れられないのは、思春期の男として当然だと思う。
そしてそんな状態を続けていた矢先に「ご褒美」なんて言い出せば、志波が思わず期待したって、これも男として当然だと思う。
(そりゃ俺だって、考えてなかった訳じゃないけど・・・・・・エッチ)
したくない訳じゃない。
不安や恥ずかしさはあるけれど、したくない、と言えばそれは嘘だ。
しかし、しかしだ。
あの時は、「ご褒美」を提案した時の自分は、これっぽっちもそんな下心なんてなかったのだ。
今になって思う。
我ながらよくもまぁ言えたものだ。
「ご褒美」なんて誤解されてもしょうがない単語を。
お預け状態の男を目の前にして。
しかも、同じ男のくせに。
女子ならともかく、同じ男のくせに。

(うわあああああーーーーっっ・・・・・・・・・俺、最悪・・・てゆーか、マジで気付けよ、俺!!)

猛烈な自己嫌悪と恥ずかしさに、仕事中でなければ頭を抱えて叫び出したい瑛だった。





「じゃあ、お先に。おやすみ、瑛」
「おつかれさま。おやすみ、じいちゃん」
かちゃんといつものほんの少し寂しい音を立てて、珊瑚礁の扉は閉じた。
片付けも掃除もほとんど済んでいる。
マスターのいなくなった店内で瑛は一人、最後の戸締りをする。
「ふぅー・・・・・・」
窓を閉めながら、瑛は上げていた髪をくしゃりと崩した。
例の件を思い出してからというもの、表面上はかろうじて仕事をこなしていたが、実はちっとも集中できていなかったのだ。
切り替えのできない自分を瑛は深く反省する。
・・・・・・が、反省している側から、また志波のことで思い悩んでしまう。

今度志波と会うのは、いつになるだろう。
おそらく今日、野球部は帰ってくるはずだ。明日には会えてもおかしくない。
いや、あの睡眠欲過多な男は明日丸一日眠ってしまい、連絡が来るのは明後日かもしれない。
それにしたって。
「どんな顔して会えばいいんだよ・・・」
正直、今は会いたくない。
会って何から話せばいいのか、分からない。
気付く前は、自分から会いに行こうかと思っていたぐらいだったのに。
だって、志波は約束を果たしたのだ。
甲子園出場だって大金星だったのに、初戦突破の勢いに乗ってベスト8まで勝ち上ったのだ。
祝福の言葉ぐらい、少しでも早く伝えてやりたかった。
でも今会ったら、挙動不振になる自分が目に見えている。
ならばせめて、メールを送ろうか。
『ベスト8、おめでとう』
・・・・・・その後はなんて書く?

『―――ご褒美、何がいい?』

無理。
絶対に、無理。
一度気付いてしまったからには、とてもじゃないが、自分から連絡を取れそうにない。
(だって、どう考えたって・・・・・・さ、さ、誘っ・・・)
「わぁーーーっ!!!」
一気に頬の熱が爆ぜる。恥ずかしさで死ねそうだ。
「はぁ、はぁ・・・・・・バカみてー・・・」
・・・・・・・アイツは。
アイツは、今、どんなつもりでいるんだろうか。
最初の期待をそのまま抱えているだろうか。
自分の浅はかな発言を見抜いて、別の望みを考えてくれているだろうか。
それとも見抜いていながら、おまえから言い出したことだと、付け入ってくるだろうか・・・・・・。
「・・・・・・っ」
身体がずくんと竦んだ。怖いような、切ないような―――・・・・・・。

「―――ああ、もうっ!やめやめ!!」
瑛は思いっきり頭を振って叫んだ。
考えても仕方ない。
それに考えれば考えるほどあらぬ方向に回路が複雑化していく。
悩んで自家中毒に陥って、一人で恥ずかしくなって、その悪循環を繰り返しだ。
潮風にあたろう。
そして今度こそ頭を切り替えよう。
そう思って、瑛は外へ出た。

「―――えっ?」

「あ・・・・・・・」

さっきまでずっと瑛の脳裏にへばりついていた男が、扉を開けた目の前に、いた。

「志波!?なんで!?」
「佐伯・・・・・・・」
「おっ、おまえ、何でここにいんの!?」
「いや、その・・・」
「今日帰ってきたばっかだろ?」
「・・・ああ」
「ああって・・・おまえさ、・・・」
びっくりしたのは志波も同じだったようで、いつもの鋭い目つきが少しふらついている。なんだか気まずそうだ。
しかしそれより何より、はっきり言ってそれ以上に瑛自身が気まずい。
今日の思い出したあの瞬間から、さっきまで頭の中は振り払っても振り払ってもこの男のことばかりだったのだ。
うっかり突かれるとパチンと音を立てて弾けてしまいそうな気さえする。
(タイミング、悪すぎる・・・)
志波が何気なく一歩を踏み出すと、ピクンと身体が少し強張ってしまう。低い声が、今日は少し怖い。
髪がかかる首の辺りがむずがゆい感じがして、瑛は首の後に手を当てた。
「とにかく、その、なんだよ。・・・立ち話もアレだし。中、入れば」
「ああ・・・」
ぎこちなさ満載の会話に内心自分で突っ込みを入れながら、瑛はコーヒーの残り香が漂う店内に志波を招きいれた。
戸を閉め、志波に気付かれないようこっそり深呼吸する。
少しは落ち着くかと期待したけど、逆に見慣れた日常の光景と背後の志波の存在のギャップが、瑛をざわめかせて落ち着かない。
志波の顔をまともに見られないまま、瑛は他愛のない会話に逃げ込もうとした。
「あー・・・と、ちょっと待ってろよ。今コーヒー入れるか・・・・・・っ!?」
突然、後から重みがかかった。
「っ・・・志、波・・・」
抱きしめられていた。
ざっと足音がしたと思ったら、振り返る間もなく志波の腕が覆いかぶさってきた。
心臓が跳ねて、そのままドクドクと、鼓動は落ち着かない。
驚いたのと、久しぶりに触れられたのと、多分両方だ。
「・・・・・・ど、したんだよ」
「悪い・・・・・・」
外にいた志波と、クーラーの効いた店内にいた瑛の肌の表面は、同じくらい冷たかった。
だけど、触れあった所からは、すぐに皮膚の下の熱さが滲んでくる。
志波の皮膚は少しぺたりとした感触だった。走ってきたのかもしれない。
汗の匂いがする。
「・・・おまえに、どうしても会いたくなって」
「・・・ぅ」
「だから・・・・・・来ちまった」
「・・・・・・」
「会いたかった」
「・・・ぅ、ん」
「―――会いたくて、たまらなかった」
「・・・・・・ん」
肩を掴む志波の指が、擦り付けるようにシャツの下の瑛の輪郭を辿り、ぎゅうっと抱き直す。
本当にたまらない、と言いたげに肩を掴む手の指が柔らく食い込んでくる。
感じるのは布が肌をこする感触と、布の上から熱。

瑛は、動けなくなってしまった。

至近距離の志波の息遣いが、直接首筋に響く。
唇から漏れる息は、抑えているけれど少し荒い。
それは自分も。
浅くなる呼吸をかろうじて唇から細い息にして零している。
俯くとバットを振る、逞しい褐色の腕。
時々「色黒すぎ」と言ってからかうけど、むらなく焼けた肌は本当は結構気に入ってる。
少し見ない間に腕がまた力強くなった気がする。
二人の身長差に比べると、腕の太さの差はずっと大きい。
もしも、もしもこの腕に強引に押さえつけられたら、きっと何一つ抵抗させてもらえないだろう。
あられもない想像に胸が詰まって、また少し息が荒くなる。
恥ずかしくて。
カラダの奥の奥が、もやもやした何かに押し上げられていく。
ますます息が乱れる。
志波に、聞かれてしまう。気取られてしまう。そんなことになったら・・・。
そんな予感みたいなものが、アタマの中を蕩けさせて、いっぱいにしてしまう。
全身が、志波に向いている。

(やばい・・・どうしよう・・・・・・俺・・・・・・・)

このまま。

このまま、タイをほどいて。

襟をあけて。

シャツのボタンを外して。

隙間から、手を差し入れて。

その手を、下に滑らせて。

いろんなトコ。全部。

触って。

もっと。

もっと。

もっと。


(俺・・・・・・)

ぎゅうと両腕で自分の身体を抱いた。

(・・・・・・変な気分になってる・・・・・・)



瑛は、背中の志波にほんの少しだけ自分から身体を寄せた。
恥ずかしさに俯いてしまっても、小さな囁きがちゃんと志波に届くように。

「あの、さ・・・遅くなったけど、ベスト8おめでとう」

こんなに顔が熱くなっている。
目の前だって、なんだか熱ある時みたいにぼやけてしまって。
そんな顔、本当は見られたくない。
でも、言う。

「・・・・・・それから・・・」

・・・・・・・だって、それって、俺だけじゃないだろ?
だから、言う。


「・・・・・・ご褒美、何がいい・・・・・・・?」


志波の息が止まって、その喉がごくりと鳴るのを、瑛は後首で感じた。

「・・・・・・・・・」

「・・・っ・・・・・・わかった・・・」



俺は今きっと、スゴクいやらしい顔をしてる。
こんな顔、おまえに見られたら、俺・・・・・・。
もう、ダメ。
とっくに、ダメになってるんだけど。
だけど。
こんな俺を見て、お前はどんな顔をするんだよ?
それ、すごく見たいんだよ。


だから、ご褒美は、俺。

いやらしい俺を、ご褒美にあげる。





(2007.2.25)




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三国あや様からいただきました!ありがとうございました!!!

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